知ること、知らないこと

多くの人は知らなくてもいいのではないか?
と言うことがたくさんあるんだろうなと思うこの頃。

読み書きが出来る。
これは別に”理解”が出来ると言うことではない。
そして今は情報のインプット、アウトプットが
誰にでも簡単に出来るようになってしまっている。

これって手付かずの自然とかに似ているのかなぁ。
ほとんど人のいない自然はものすごく美しい。
人が人のために自然をいじって都合のいいように変えていく。
情報を得た人たちがそこへ行きはじめる。
観光地化されて一般大衆が押し寄せる。
人だらけ、ゴミだらけになっていく。。

そうしているうちに何が美しかったのかなんてどうでもよくなっていく。

これって結構いろんなことに当てはまるのかなぁと思っている。形や表現は変わってくるけれど。

スマートフォンと呼ばれる小さなPC端末が多くの人に普及し1人1台のような感じになっている現在。
インターネット上にはいろんな情報が転がっている。
有益な情報もそうでないものも。
砂漠の中から色の違う砂を探してねみたいな。。


今回の騒動。
はじまりが人為的なことなのかどうかは私にはわからない。
そして
根拠のない情報による大混乱。。
非科学的なことの押し付け。


こんなことから
多くの人は知らない方がいい事もあるのだと思う。
読む事も書くこともできても
文章や情報が理解できるかどうかは別の話になってくる。

理解できなかった人たちが自分の都合のいいように解釈をして
その情報はさらに広がっていく。。
止めることは非常に困難だと思う。
リーダーに立つようなポジションの人がしっかりとデータをもとに科学的にだったり論理的に物事を進めていけるのならもっといい状況だったのだろう。
そんなポジションの人が保身を考えているだけじゃお話にならないだろうに。。。